こういう相談を受けたんだが。。
と、興奮するのは分かったから、とりあえずそれを人前でいきなり見せるな笑
しかし個々で攻めるこの国のマネジメントに接していると、ああ、この相談は彼にいってる、この問題は既にあそこにいっている、というのが目に見えてくる。
そうした関係者をおさえて、どれだけ共通の意見形成をしていくか、持って行くかが課題である。
外すと、外される、ああ、怖い怖い。
じゃ、14時以降に持ってきて
外出先から戻ると、お願いしていたデリバリーが一足先に届けにきたとのこと。
しかし私の部屋は閉められていたので、一度退散した模様。
そうか、じゃあまた外に出たりするので14時以降に持ってきてくれるようにお願いしてくれる?と依頼しときました。
そんな11時ぐらいの会話のしばらく後、わさわさした室内を覗くと、て、なんで君たち11:30に私の部屋に届けに来るんだい?
まぁね、来ないよりか全然ましなんだけどね、おかげで私の外出は伸びる。
つかまえてモノを持ち込んで既成事実を作る、とにかくやってしまってから確認を求める、これ、重要なミャンマービジネスプラクティス。。。
悪天候により降りてください
って、だったらまず機体に乗せないでくれませんか、我々を。。
やれやれと思い、出発ロビーに戻ると、全然他のフライトとんでますけど。。
で、この朝の国営ミャンマー航空によるヤンゴン→ネピドー便は、全く同じ時間帯で2便飛んでいる。そんでもってもう一つの便は飛んでるみたいなんですが。。
てことで一体何が起きてるのかも分からず待つことおよそ2時間、ようやく乗り込んだ新しい機体には、既に乗り込んでいるお客、しかも明らかにネピドーに行かないような客層がずらり。
案の定、マンダレー行きのネピドー経由便でした。
うーん、分からん、もしこれも元々あるんだったらヤンゴン→ネピドーが朝のミャンマー航空だけで3便もあることになる、そんな必要ないよな、絶対、きっと航路変えたんだろうな。。
今日は外務大臣もいたようだし、空に何かが起きていたんだよ、きっと。。
ヤンゴン日本人墓地訪問
言わずと知れたミャンマー、当時のビルマは日本軍の激戦地。
アジアに住むと各地において博物館や日本人墓地が見られるが、その度に日本人が行ってきたことを振り返ざるを得ない、理由はなんであれ、外に出向き、異国の人々を従わせてきた事実は事実としてある。すべてがすべて美化されるものでもない。
日本人墓地には戦争で亡くなった人以外も眠られている。
1978年、ミャンマーの発展のために活動されたJICAを中心とした方々が不幸にも航空機の墜落で亡くなられ、その方々もここで慰霊されているとのこと。
照りつける日差し、でこぼこの道、そんなこんなをくぐり抜けてたどり着いて初めて、同じ道を歩いて亡くなった人に思いを馳せられることもある。
梅原猛、日本仏教をゆく
いわずと知れた仏教大国のミャンマーに住むからには、仏教を勉強しなければいけない。
と思い立ったのはいいものの、よくわからんので結局日本の仏教を学ぶ、梅原猛にかけこむ。
聖徳太子にはじまり、仏教を中心とした歴史が明治までかけめぐる。
ああなるほど、この国の長(天皇、将軍)てのは、常に仏も見ながら政治をしてきたんだな、と思い知らされる。
そういうのを読むと、あながち、首都をネピドーにしたのは占いですよ、なんてのも別に笑っていられない、日本も大まじめだった時代があるのだから、ミャンマーがそう考えてもおかしくない。
アフリカとかには現代でも平均寿命が40代の国があるようだが、日本の高僧は1000年以上前から80、90歳まで生きるのもザラなんだなと。
長寿だから伝説となったのか、どっちがどっちか分からないが、とにかく日本人てのは長生きだ、行基は82歳、親鸞は90歳ですと、1000年前の人たち。
人間てのは、体力は進歩しないものなんですな。
そこはセミコロンです
マレーシア駐在時代に通っていたマラヤ大学博士課程(経済)が終わらず、まだ脳裏で苦しめられる日々。
まぁ授業はもう終わってんであとは論文を書くだけなのだが、PhDともなると研究報告の教授会やらなんやらで、たまに出向かねばならない。
面倒くさいのだが、たまにはこのアカデミックな思考と、アカデミックな指摘、そして役職関係なしに個のアイディアを攻められる緊張感は、それなりにやりがいのあるものである。
同じように社会人博士を無事取得された先輩に相談したとき、こう言ってた、
「まぁ、仕事も多少のスケベ心が必要だろ」
なるほど。。
かくして私のプレゼンを終え、さぁ、かかってこい教授たちよ、とQ&Aを受け付けたところ、最初の指摘はまさかの研究題目であった、
「ここはピリオドじゃなくて、セミコロンにしてください」
マレーシア最高学府、おそるべし。。
いやー、緊張するね
そりゃそうだ、相手は一国の閣僚だから。
現地駐在員が少なければ少ないほど、どんな偉い人が来ても間近に対応しないといけないのは、社会の常。
ここミャンマーにいれば色んな人が来るので、そんな方々と間近に接せられるのも、業務外とはいえ人生経験にもなる。
と、まさかの自分が新人時代にお世話になった大御所に付いて回り、色んな局面でも会話をかわせばかわすほど、なるほど、こういう方も緊張することがあるときもあれば、準備に余念がないことも分かる。その一挙手一投足もまた、自分の数十年後に返ってくる。
こないだ、野村信託銀行の社長トップになった女性役員の人が、社長秘書時代に初めてトップの考えを身近にみて全体を考えるにようになったと書いてあった。
まぁ、分かる気がしないでもなかった。